タラタラ文句言うのは構わない。口だけで人を非難するのは誰でもできる事。本当に望むものは行動が伴う。常に言ってるんだけど、「行動は真実、口は希望や詭弁でしかない。」ワザと言ってるのがわからないかなぁ〜?

私の批評に非難をする人は数多く存在する。しかし、その人達の実態こそ非難に値する。もっと言葉の多くの矛盾点に気がつくべきである。私は気がつこうと努力して、それを改善しようと努力もしている。しているからいいという訳でないことも心得ている。だから、あまり真実を語らない。あまりにも不甲斐ないんだよ、君達は・・・

この間の記者会見を観て、アイツと同格だと思われるのは侵害なので述べておく。私はF官房長官とほぼ同様の意見を言っているのを知った。これは結構昔からよく言う言い回しである。湾岸の時もボスニアの時もユーゴの時も今回の時も・・・私は誰しもに言っただろう。

他人「戦争って酷すぎるよ・・・なんとも思わない?」

私「戦争より交通事故で死ぬ人が多いんだよ〜♪」

他人「(驚愕の意見に嫌悪感)」

私の真意から、かなりかけ離れた表現にみられがちだが、今そこにある他人事ではない交通戦争があり、それをも見据える事のできない人間が、他人様の命をとやかく言うんじゃね〜って事をできるだけわかってもらえない程度で言ってんのよ。偽善者ってのはアンタ等の事を言うんだよー!って言って面倒な事になるのを避けてるんです。それに、奴等は死にたくて殺したくて興味本位とかで戦争してる。したくなきゃしなければ済む事なんだから、それゆえにあまり同情しない。ガンジーが何故偉大なのかわからなければもう一度勉強すればいい。何故、ストライキという運動があって、デモという運動があって、テロを生むんだとか考えないとね。J-WAVEのナビゲーターである『モーリー・ロバートソン』さんの戦争に対する観念をもうちょっと理解できるようになった方がいいよ!マジで!

さて、解かり易くもっと小さい物事に置き換えてみるとこうなる。学校やそこらでケンカがある。する人としない人の差は何か・・・したくないから、痛いのがヤダから、争い事がイヤ、長いものには巻かれ隊、無関心なのである。それと戦争の違いは?他人に命令されたからといって、人を殺せるアンタがおかしいのだと断言するね。小学校の頃よく先生に言われなかったかな?

先生「A君に言われたら悪い事でもなんでもするの?」

子供「う、うん・・・」

先生「じゃあ、死ねって言えば死ぬの?」

子供「それとこれとは・・・」

先生「ソレとコレとってちゃんとわかってて自分でやったんでしょ!。自分で判断したんだから人のせいにしないでちゃんと誤りなさい!」

子供「ごめんなさい・・・」

このやり取りがわかります?いくつになったら解かるのかな〜?戦争はヤりたい人の数だけ戦争がある。治まりのつかない怒りを人にぶつける事で起きるのが戦争。大きくとも小さくとも・・・わかってると反論したアンタ等に言うよ?

選挙行ったぁ?

行ってないなら辞めなよヒューマニズム。アンタらの心にゃそんなものただの干渉でしかないんだよ。戦争映画や原爆ドームみて「スゲーな・・・」って事言って終わりなんでしょ?人のツラさも理解してみようなんて努力もできない、まだまだヒヨッコなのだから。文句があるなら自衛隊員の奥さんの所行ってきなよ。自分達がどんだけの罪を犯したかのか本当にわかる時がくるから。そして、ただ傍観しただけではなく、共犯である事が事実だと重く受け止めて今度はちゃんとできるように心構えや信念を持つ事だね。偉そうに聞こえるだろうがこの点に関してはきっと私は間違ってない。自衛隊員の奥さんは実害の被害者である。旦那は家族を顧みず戦争にいく、幾ばくかの使命感などを満足させるために・・・

アメリカ海軍退役兵が言った言葉
「政治の都合で利用されるのはイヤだったから」
そう、そう思えばやめられるのである。兵役のある国は努めを果たさないと捕まったりする。しかし、捕まる罰金なら甘んじて受けてもいいと思うんだよね、自分がある程度痛めつけられるとしてもなんの感情もなく相手を殺めたくない。憎しみをもっている相手ならまだしも・・・まったくの関係のない他人を自分の仕事だからという事でこの世から片付けてしまいたくない。

中学生、高校生の頃、戦争についての作文を書かされた時、「戦争は政治に利用され、金儲けに使われ喜んでいるヤツ等がこの世に沢山いる。(前後略)」と書いたら呼び出された上に、矛盾だらけの文句をタラタラ言われたっけね。その作文の的にアンタも含まれてたからでしょ?笑えるよね・・・そんな教育とそんな教師という立場にも本人にも・・・呆れます、ホント。子供の犯罪を嘆く前に、大人の犯罪(法律にかからなくとも)をなくしたら世の中の問題の解決の道は近いかもしれない・・・


あっ ちなみに、本当に交通戦争に関して考えに考えたプランがあるんだよ!(苦笑)

●交差点から横断歩道を10M離れた位置に設置し、セブラゾーンには昼でも照明を当てる事。

車は運転手1人が乗車している場合が多いにも関わらず、死角は未だに多く、安全のための確認事項の負担が多すぎる。交差点では『信号・スピード・斜線・歩行者・後続車・対向車・すり抜けのバイク・ハンドル操作・ブレーキ操作・進行方向・』など運転手の負担は特別な訓練もしていないのに、高等なプロフェッショルな環境よりもツライのである。そのため、少しでもその負担を軽減するためにも、一番危険度の高い【歩行者】を遠避けるのである。そして、人間工学を元にすれば光を利用した誘導的な確認システムを導入する必要があると思われる。大前提として、人は常に完璧ではないという事とし、車以外のものにも確認と責任を負わせることが必要と思われる。それは、車両との距離を垂直に保つ事で、歩行者にも車の確認が容易になり、被害者意識・特権意識だけではなく、しっかりとした譲り合いマナーを定着させる事に重点をおく。ゆくゆくは、走行中に無理やり車道や横断歩道へ進入してきた歩行者などは必ずしも被害者にならないという事実。つまり、そのための法律の制定も必要だと思われる。それほど、自動車・道路幅・馬力・ストレスも増えているのです。

これが今、最も実現しやすい低コストの対策ではないだろうか?

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