読めば読むほど・・・
2004年2月2日 エッセイずぅ〜っと家を出てない私にとってする事と言えばネット、ゲーム、読書しかない。どれもしすぎて目が開けられないくらい目が痛くなる事もあったほどだ。入院した時以来の時間の使い方。あれ以来、一生懸命に生きすぎたような気がする。とにかく働いて、Hして、食べて、飲んで、出かけて、遊んで・・・これが一番いけないような気がした。じゃなきゃ、家に居続ける事がおっくうになるはずだと・・・
以前、入院した時に担当医に言われた事。
「これほどまでに入院生活をナチュラルに過す人はいないよ。何か悩みがありますか?普通なら働きたいとか出掛けたいとか色々あると思うんだけどなぁ〜。」
この担当医の言葉は今も胸にシコリを残している。「何故?」っと自分では言われなければ気づきもしなかっただろう。言われてみれば、喫煙所でもトイレでも何処でも患者は「出たい!帰りたい!」と騒いだり、無断で外出したりしていた。しかし、私は個室のベットの上から動くのは生きていく上で必要なトイレとか歯磨きとか最小限の事だった。それでも、何も不自由とか息苦しさを感じた事もなかった。点滴の管がつながれていようとも・・・私は実際のところ1人でいくらでも時間を過せる。いや、気がついたら時が過ぎているというのかな。とくに、誰かを必要とする事もなく、何かに熱中できるけど。1人でいると大した不幸もないけど大した幸せもないなぁ〜なんてつくづく思う。
一時はもう心臓が高鳴る事もないのだろうし、どんなに辛くても昔ほどツラかった事などないだろうとも思い適当に生きてた。ドーパミンにも限界があるのだろうし・・・とも思って事もあったが、ただ悲観的に考えてイジケてるたけだねぇ。ちゃんと世の中を見つめなおさなきゃねぇ〜。簡単に性格が変わる訳じゃないし、自分が見ただけが世界じゃないし。できるだけ自分の中の「何故?」を解き明かしていかないと自分の何かにも世の中にも気づく事もできないんだね。その広い視野を持たないからこそ、すぐに死にたくなったりするのだろうとも思った。まっ 何故?から理解する前に大したディスカッションもないまま、嘘つかれて諦められてポイッてなもんがパターンだが、もっと違ったアプローチが必要なんだなぁ〜とあれこれいつも手遅れになってから試行錯誤・・・私の人生らしすぎる結末(苦笑)
先日ケーブルでメジャーリーグで活躍する長谷川滋利(シアトルマリナーズのクローザー)のインタビューをやっていた。その話の中で長谷川さんも「日記」をつけてていて、その日記は自分を振り返り反省したりするためのものだといっていた。その時その時をリアルタイムに鮮明に残し、壁にぶつかった時に参考にして壁を乗り越える方法を見出したりできると。そして、一日一日の自分を見つめ直すという事がとても大事な事だと言っていた。自分の時間を取る事はもっとも大切だとも。
まぁ〜毎日書くのは難しいけど、毎日がベストだろうね。些細な日常でもしっかり自分を把握している人がいるだろうか。日記でもつけなければ3日前の事を主観的・客観的・心理的に思い出すのにかなり苦労するのではないだろうか?まして、数年前の感情とか記憶になるとかなり自分勝手に変換されてしまってないだろうか?過去のトラウマなど勝手にもっと酷く脚色されてないだろうか?日記をつけていれば、過去の記憶も正しくなりちゃんと自分を見失わず生きていけるだろうと思ったねぇ。私は記憶力が非常に悪いけど、覚えている事は覚えている。忘れたフリをしてあげる事もある。とくに、「絶対」という言葉を口にするうちの両親とかには(笑)
私の日記は自己表現の芸術みたいなもんだが、振り返れば振り返るほどため息がでちゃうよ・・・(苦笑)
以前、入院した時に担当医に言われた事。
「これほどまでに入院生活をナチュラルに過す人はいないよ。何か悩みがありますか?普通なら働きたいとか出掛けたいとか色々あると思うんだけどなぁ〜。」
この担当医の言葉は今も胸にシコリを残している。「何故?」っと自分では言われなければ気づきもしなかっただろう。言われてみれば、喫煙所でもトイレでも何処でも患者は「出たい!帰りたい!」と騒いだり、無断で外出したりしていた。しかし、私は個室のベットの上から動くのは生きていく上で必要なトイレとか歯磨きとか最小限の事だった。それでも、何も不自由とか息苦しさを感じた事もなかった。点滴の管がつながれていようとも・・・私は実際のところ1人でいくらでも時間を過せる。いや、気がついたら時が過ぎているというのかな。とくに、誰かを必要とする事もなく、何かに熱中できるけど。1人でいると大した不幸もないけど大した幸せもないなぁ〜なんてつくづく思う。
一時はもう心臓が高鳴る事もないのだろうし、どんなに辛くても昔ほどツラかった事などないだろうとも思い適当に生きてた。ドーパミンにも限界があるのだろうし・・・とも思って事もあったが、ただ悲観的に考えてイジケてるたけだねぇ。ちゃんと世の中を見つめなおさなきゃねぇ〜。簡単に性格が変わる訳じゃないし、自分が見ただけが世界じゃないし。できるだけ自分の中の「何故?」を解き明かしていかないと自分の何かにも世の中にも気づく事もできないんだね。その広い視野を持たないからこそ、すぐに死にたくなったりするのだろうとも思った。まっ 何故?から理解する前に大したディスカッションもないまま、嘘つかれて諦められてポイッてなもんがパターンだが、もっと違ったアプローチが必要なんだなぁ〜とあれこれいつも手遅れになってから試行錯誤・・・私の人生らしすぎる結末(苦笑)
先日ケーブルでメジャーリーグで活躍する長谷川滋利(シアトルマリナーズのクローザー)のインタビューをやっていた。その話の中で長谷川さんも「日記」をつけてていて、その日記は自分を振り返り反省したりするためのものだといっていた。その時その時をリアルタイムに鮮明に残し、壁にぶつかった時に参考にして壁を乗り越える方法を見出したりできると。そして、一日一日の自分を見つめ直すという事がとても大事な事だと言っていた。自分の時間を取る事はもっとも大切だとも。
まぁ〜毎日書くのは難しいけど、毎日がベストだろうね。些細な日常でもしっかり自分を把握している人がいるだろうか。日記でもつけなければ3日前の事を主観的・客観的・心理的に思い出すのにかなり苦労するのではないだろうか?まして、数年前の感情とか記憶になるとかなり自分勝手に変換されてしまってないだろうか?過去のトラウマなど勝手にもっと酷く脚色されてないだろうか?日記をつけていれば、過去の記憶も正しくなりちゃんと自分を見失わず生きていけるだろうと思ったねぇ。私は記憶力が非常に悪いけど、覚えている事は覚えている。忘れたフリをしてあげる事もある。とくに、「絶対」という言葉を口にするうちの両親とかには(笑)
私の日記は自己表現の芸術みたいなもんだが、振り返れば振り返るほどため息がでちゃうよ・・・(苦笑)
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